GMEスタッフブログ

- 2017/12/13
- 干支(大津留)
毎年、十二月頃になりますと、書店には年賀状用の画像素材の本が平台に並び、
コンビニやスーパーなどでは年賀状の図案を掲載したカタログが置かれ始めます。
この年賀状の図案カタログを眺めるのが毎年ひそかな楽しみで、
来年の干支が墨絵で描かれた普遍的な画風の図案もあれば、
かわいらしいタッチで描かれたイラストもあり、
またフェルトや粘土、ちりめん細工などで作られた人形を撮影した写真もあったりと、
様々な趣向を凝らしたデザインを毎年楽しく眺めています。
干支の話題でよく挙げられるテーマの一つとして、
「なぜ干支にはネコが含まれないのか」というものがあります。
この疑問に対する一般的な解答としてよく用いられる説明が、
「神様が干支の順番を決めるために動物たちに召集をかけた際に、
ネコはネズミに騙されてしまい集合日を間違えてしまったから」
というものです。
自分もこのエピソードを、小学生の頃に
学習帳の表2や表3のあたりに掲載されていたコラムで読んだ記憶があり、
なるほどそんな理由があったのか、と納得したものですが、
冷静に考えるとこれは明らかに作り話であり、
かつて(神様ではなく)人が干支の動物を選定した際に、
なぜネコを外したのかという疑問については答えてくれません。
気になったので調べたところ、
日本で一般的に使われている十二支は、中国から伝わったものであり、
後漢時代に王充が『論衡』という著書で定めたものだそうです。
では王充がなぜネコを外したのか、ということについてですが、
その理由はよくわからず、一説によると中国にイエネコが伝わったのは、
紀元前2世紀頃にシルクロードを経由してからであり、
王充が『論衡』を著した時代には、まだ人々の間でネコが
一般的な動物ではなかったからだ、とも言われています。
ですが、2013年に中国で行われた発掘調査により、
5300年前の遺跡から人々がネコを飼っていたと思われる痕跡が見つかっており、
もしも中国の人々が数千年前からネコと生活を共にしていたのであれば、
後漢時代の民衆にとってネコが一般的ではなかったから十二支にいない、
というは説は考えにくいものとなります。
とはいえ中国で見つかった遺跡のネコが、
現在のイエネコの祖先と言われている中東のリビアヤマネコの血統に属する、
現在の我々が一般的な意味で想定する「ネコ」の範疇に属する動物として、
古代中国で認識されていたのか、という議論の余地もあります。
それにチベットやタイ、ベトナムなどの十二支には
ウサギの代わりにネコが含まれていることを考えると、
案外、中国の十二支にネコが含まれなかったのは、
王充がイヌ派で、ネコ科の動物としてはトラを入れるから
ネコは入れなくてもいいや、と思ったからかもしれませんね。